ズッコケ三人組で有名な「那須正幹」さんが亡くなったことがわかりました。
7月16日に山口県防府市の自宅で倒れて、病院に運ばれましたが、22日に息をひきとりました。
79歳でした。
那須正幹さんは、戦争を経験し、その経験を生かした作品も多いことで有名ですよね。
今回は、「那須正幹の作品/画像/経歴は?息子についても!【ズッコケ三人組】」と題しまして、那須正幹さんの作品や経歴、家族などについて調査してまいります!
那須正幹の画像/経歴は?
「ズッコケ三人組」シリーズや、みずからの被爆体験を踏まえた作品などで知られる児童文学作家の那須正幹さんが亡くなりました。79歳でした。https://t.co/1LEffnXMhb
— NHK科学文化部 (@nhk_kabun) July 22, 2021
Yahooニュースによりますと、このように報道されています。
人気シリーズ「ズッコケ三人組」で知られる児童文学作家の那須正幹(なす・まさもと)氏=山口県防府市=が22日、死去した。79歳。広島市西区生まれ
遺族によると、16日に自宅で倒れ救急搬送された。新型コロナウィルスへの感染はなかった。 代表作「ズッコケ三人組」シリーズは1976年、小学生向けの学習雑誌で連載を始めた。全50巻、累計2500万部は戦後の日本児童文学最大のベストセラーとなった。 3歳の時に、同市庚午北町(現西区己斐本町)の自宅で被爆。原爆や戦争をテーマにした作品も多く手掛け、子どもたちに平和の尊さを伝え続けた。
とのことです。
那須正幹のプロフィール・生い立ち
1945年8月6日、広島市西区の自宅で母親の背におぶさって状態で被爆した戦争経験者です。
しかし、頭がキレる子だったそうで、小さい頃から近所に住んでいた新延輝雄の家によく遊びに行き、「インテリぼうや」と呼ばれたりしていたそうです。
ちいさいころに宮沢賢治さんの「銀河鉄道の夜」を何度も読み聞かせてもらったことから、本に興味を持ち始めたとも言われています。
小学校は、広島市立己斐小学校に通っていました。
戦争を経験していた年代だっただけに、クラスの3分の1は被爆して親のない子もいたそうです。
中学2年生の時に、一年で同じクラスだった女生徒が原爆被爆による白血病を発症し、死亡したこと、進学した広島市立庚午中学校は、荒れて教師による体罰が日常茶飯事だったり、卒業式にはパトカーが待機するような状況だったことが、那須正幹さんのその後の文学に影響を与えたといいます。
文学の世界に興味を持つようになったのは、中三の時の予科練あがりの型破りな教師の影響だそうです。
那須正幹さんは、小さな頃から本が大好きだったわけではないそう。
幼少の頃は、本を読むより外で遊ぶ方が好きな少年だったそうです。
特に熱中したのが昆虫採集。
これがもとで、もっと昆虫について学びたいとのことで、当時生物クラブが盛んだった広島市立基町高等学校進学しました。
この広島市立基町高等学校でのちに人気となる『ズッコケ三人組シリーズ』に登場する宅和源太郎先生のモデルになる教師と出会ったといいます。
(ちなみにその教師は、松田聖子さんの親戚だったとのこと)
同校卒業後、島根農科大学林学科に進学し森林昆虫学を専攻。
卒業論文のテーマは『マツノシンクイムシの天敵防禦』。
大学在学中は友人に誘われて山岳部に所属して、1年のうち100日くらいを山で過ごしたことや北海道の摩周湖で泳いだこともあったといいます。
また山岳部に所属していたことが就職活動の面接で話題になり、大学卒業後に上京して自動車のセールスマンになるきっかけとなったそうです。
息子についても!【ズッコケ三人組】
那須正幹さんは、2度結婚しています。
現在の奥様との間に2男2女のお子様がいらっしゃいます。
那須正幹さんの息子とも言える「ズッコケ三人組」ですが、2004年にテレビ東京でアニメ化もされている子供たちに大人気なアニメシリーズ。
「ずっこけ3人組」はもともと「ズッコケ三銃士」という題名だったそう。
学習研究社から出された雑誌の連載で人気となり、単行本になり、アニメ化もされました。
まとめ
今回は、「那須正幹の作品/画像/経歴は?息子についても!【ズッコケ三人組】」と題しましてズッコケ三人組で有名な那須正幹さんについて見てまいりました。
戦争の作品も多いことから批判の声もあったとも思われますが、「「ズッコケ三人組」という大人気の作品を世に残してくれたことに感謝したいですね。
今回はこの辺で。
最後までごらんいただきありがとうございました!